散らかりにいらいらしている方も多いですね。
でも、物に足が生えていて、勝手にやってくるっていうことは絶対にないんですね。もちろん家族が散らかす場合も多いですが、ほとんどの場合、自分で持ち込んだモノにいらいらしたり、片付けができなくて落ち込んでいます。
例えば、テーブルの上にダイレクトメールが散らかっているせいで、イライラしてる方がいらっしゃったとします。
家のポストに入っていたダイレクトメールを家の中に持ち込んだのは自分自身であり、すぐに捨てなかった自分に原因があるわけです。
ネットで買ったものの似合わなかったり、きつくて入らなかった服は、自分の買い物の失敗です。
こんなふうに、散らかりはだめな自分の過去と向き合うプロセスだったりするわけです。
モノは実はその方の人生の一部でもあるわけです。
モノの散らかりは、マイナス面ばかりではありません。
かつて成功したプレゼンの資料を目にしたとき、ぱっとみたら散らかっているように見えても、今の自分の大事な糧になっているかもしれません。
あるいは、旅行の思い出の写真なんかはポジティブな過去として、その方に温かいイメージをもたらすでしょう。
こんなふうにして、
片付けはモノを介して過去、人生の一部と向き合う作業です。
片づけの作業のプロセスは、過去と向き合い、これからどうしたらいいのかという未来の生活をイメージしていく作業です。
片付けは未来をイメージしないとできないわけです。
過去だけだったら、大人になっても小学生の服を着ている大人みたいなちぐはぐな、成長のない自分になってしまいますね。
片づけは自分の人生の、過去を振り返り、未来を構築することですから、自己啓発なんですよね。
一方で
家族という共同体だけでは解決できない問題です。実家の片付けは、社会問題という面も多くあります。
たとえば、実家を片付けないで放置して空き家になったら、枯れ葉が近所や近隣にとび大きな影響を及ぼすかもしれません。
崩れたり、危険な状態になったら、特定空き家になってしまいます。
そもそもなぜ空き家になったのかを深く掘り下げていくと、首都圏に仕事が多いとか、核家族化とか、子世代の不景気な状況など様々な要因があるのです。
そんななかで実家の片付けは、家族でしかできないことも多く、負担が大きくのしかかっています。
片づけは過去を振り返り未来を構築するための自己啓発。実家の片づけは家族だけでは解決しにくい社会問題の面が強い。だから、片付けは「自己啓発」、実家の片づけは「社会問題」と考えて片づけていくとよいですね。
一緒に片付けていけるといいですね。
片付きますように。渡部亜矢