夫婦は他人、親子は「一番近い他人」
昔から、夫婦は他人と申します。
「切っても切れない」のが親子の縁ですし、「一番近い他人」とも言えます。
今は時代の流れがはやいので、たとえば、昭和一桁の戦中派と、
バブル世代の親子が暮らしてしている場合が多くあります。
歴史でいえば、黒船来航と大正ロマンが同居しているような感じでしょうか。
人が経験したことのない超高齢化社会の中、
平均寿命が延び、人生がこんなに長くなっているのですから、時代も移り変わり、
家族のひとりひとりの育った環境が多様化しています。
価値観が違って当たり前なので、身内だから、家族だから、言わなくてもなんでも分かり合えるというのは、幻想にすぎないのです。
すでにオフィスでは常識になっているように、気働きだけで解決できないことは、
現実が物語っています。
母が似合うと言って買って着た服のセンスを見て、
捨てたくても捨てられない、日本全国の娘のため息が聞こえてきそうです。
親子なので、お互いに分かり合えるというのが理想ですが、
こんなに生きている時代背景が違うと、想像できないことが多いのですから、
分かり合うというよりは、違ったまま「共存」する道を探るのも、ひとつの方法でしょう。
親子でコミュニケーションをとりながら、片づけるといいですね。
片づけ業者には、思い出の品、重要書類の整理は頼めないので、
その後の片づけをスムーズに進めるうえでも、話を聴いて、
気が付いたことをメモしていくだけでも、判断が楽になります。
本当に大事なのは、モノを片づけることではなく、「人」。
片づけることは、目的ではないのですから。
多少喧嘩しても、平均寿命が延び、お互い長生きするので、
また片づける時間はあると思えば、気持ちは楽になります。
親子の関係UPをめざし、片づけながら、回想していきます。
親はたいてい、昔の話は大好きです。
私事で恐縮ですが…… 私は22歳のころに父を亡くしたので、
社会人になってから、もっと仕事のことなどをいろいろ聞いておけばよかったと、
後悔しました。
また、明治生まれの祖母と同居していたのですが、
大事に仏壇に飾ってあった、古びた看護婦さんの人形がありました。
祖母は、四国の日赤病院で婦長さんだったと聞いていたので、その関係だろうと、
小さいころから気にも留めずにいました。
祖母が亡くなってから知ったのですが、その人形は、
看護婦として貢献した人ということでもらえた、
「ナイチンゲール賞」という名誉のあるものだったそうです。
戦争中のもののようです。
私たちの世代は、戦争はすでに歴史の教科書の中のことです。
今思うと、祖母が、婦長として戦争中にどんな仕事をしていたのかなど、
きちんと聞いておけば、教科書には書かれていない、
歴史や戦争を知るきっかけをつかめたかもしれないと、悔やみました。
……そんなこんなで、私の場合は、
「きちんと家族から聞けるときに話を聴いておけばよかった」と思います。